タイムスリップ芦屋 農村の暮らし

中世・戦国時代になると、この平和な郷にも戦禍がおよびます。
芦屋は一気に戦いの舞台となりました。
戦国時代の末、芦屋の人々の暮らしはどう変わっていたのでしょう。
幕末までの様子を写真と織り交ぜながらまとめてみました。

戦国時代
農村の誕生
楠木正成と足利尊氏の打出・西宮浜合戦や若松物語で知られる鷹尾山の悲劇などといった戦乱の中で、人々は次第に結束を固めていきます。
そして戦国時代の末には、打出・芦屋・三条・津知という四つの村が生まれました。
現在の芦屋市章は、後にこの四つの村がひとつの村となった時に作られたものにより、四つの村の存在は、今尚市章の由来として後世に伝えられています。


江戸時代
幕藩体制




近世、封建体制の確立に伴って、尼崎藩の支配下となり、新田開発も活発化し、人々の暮らしは安定しました。
1769年 芦屋・打出村は天領となり、三条・津知村は尼崎藩領として幕末をむかえました。
芦屋の原点ともいえるこの時代の農村風景は北西部の三条町(旧三条村)、北東部の岩ヶ平(旧打出村)に今でも残っています。
現代の都市空間にはない、懐かしさと安らぎを持った風景は、貴重な歴史的遺産としてこれからも大切にしていきたいものです。
旧三条村のメインストリート(三条町)
(市制施行50周年記念写真集「芦屋今むかし」より転載)
※掲載している情報は、2005.07.01の情報です。
そのため記載内容が、最新のものと異なる場合があります。
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