夏の終わりの風物詩「地蔵盆」
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夏の終わりの風物詩「地蔵盆」

長い夏休みが終わりにさしかかろうとする8月23日・24日に、芦屋市では「地蔵盆」が行われます。
毎年、曜日に関係なく8月23日・24日に地域または町内会の方たちが、お地蔵さんをお祀りして、 子ども達が“おさがり”と呼ばれるお菓子をもらう慣習となっています。
京都を中心とし、阪神間・北陸地方等で盛んな「地蔵盆」。
芦屋での地蔵盆の様子を取材しました。

地蔵盆のいわれ

平安時代に唐の国から日本に地蔵菩薩信仰が伝えられ、鎌倉時代を経て信仰が貴族から武士、そして庶民に広まり、江戸時代には、道祖神信仰と結びついて村境や峠等に像が祀られ、村を守ってくれる・病気や事故を防ぐとの「地蔵信仰」が広まったと言われています。
また、「お地蔵様」に人々が集まることから、地獄の鬼から子どもを救ってくれる守護神としても現在にいたっています。
「地蔵盆」は、地域によって様々で、大阪では地車がでたり、京都では数珠繰りといって大きい数珠を子ども達みんなでまわす儀式や町内ごとの出店・福引きをするようです。

芦屋の「地蔵盆」

芦屋では、特に地域・町内会と決まった単位ではなく、お祀りするお地蔵さまによって、家族単位から町内会、また有志の方でそれぞれ「地蔵盆」を行っているようです。今回は、“宮川地蔵通り”と道に名前がついている宮川沿いを臨港線から鳴尾御影線まで北上しました。
まず最初に訪れたのが、西蔵町の『浜打出地蔵尊』。お供え物が並べられているお地蔵様の前にテントが張られ、女性の方達が5~6人座っていました。「曜日に関係なく毎年8月23日と24日に地蔵盆をしています」と話してくれました。
近所の小さな子ども達もお母さんと一緒にお参りに来ていました。「昔は家にお地蔵さんがあったんですけど、みんなでお祀りできるように川沿いに移動したという話も聞いています」と話してくれました。お地蔵さまは、戦災・区画整理・地震によって移転したり、川沿いのお地蔵さまの中には上流から流されてきたお地蔵さまがお祀りされているそうです。

次に、若宮町の『常盤地蔵尊』を訪れました。テントが2つ出され、7~8人の方がいました。こちらでは、スーパーボール1回10円という破格の値段のお楽しみもありました。50~60代の男性のお世話をしている方に話を聞くと、「私たちの小さい頃から、地蔵盆っていうもんはありましたよ、ここは有志で運営しています、みんなでお祀りしています」と話してくれました(また前若宮町内会長の方には、芦屋村と打出村についても熱く語ってくれました。次回はだんじりでお話をお伺いさせてください)。またこの時、話してもらった芦屋で一番古いお地蔵さまを調べると、打出小槌町に祀られている白露地蔵が延享2年(1745年)に建立されたそうで芦屋では最古でした。将軍吉宗の頃のものだそうです。

その他、JR芦屋駅北・アルパ商店街のお地蔵さまは、大正時代に、ある人が「納屋を掘り出して」と夢のお告げを見て、掘ってみたら本当に2体のお地蔵さまが出てきたという不思議ないわれを持つお地蔵さまも合祀されています。

これからの芦屋の地蔵盆

「おまいりにきました」「参っていってな」と、子ども達と地域の方々の声が町のあちこちから聞こえる地蔵盆。お地蔵さまを前に手を合わす子ども達の姿がかわいいですね。
ただ、芦屋でも他の地域から引っ越して来たりして、昔からの「地蔵盆」を知らない人も増えたようです。まだ参加したことがない人も、少しのお賽銭を用意して、気軽に近くのお地蔵さまを親子で一緒にお参りしてみてください。最近では、地域の年配の方と若い世代方の交流も減りつつありますが、地蔵盆では地域のご年配の方々がお世話をされている場合が多いので親子ともども楽しくお話ができますよ。
地蔵盆が終わる頃には、セミの声もだんだんと聞こえなくなり、空は夏の入道雲から秋の郷愁を誘う空に変わっていきます。
少子化・習慣の変化などで地域とのつながりが薄れてきている今日ですが、「地蔵盆」を大切に受け継いでいってほしいと思いました。